40周年(夏フェス)

夏フェス写真集VOL.1

(速報)夏フェス会場に2300人!大盛況に終わる

 7月13日(日)行われた夏フェスに2300人の来場者があり、大盛況に終わりました。
 
後日、当日の模様の写真をアップいたします。
 
 来場者の皆様、出演者の皆様、誠にありがとうございました。 

いよいよ夏フェス!

 いよいよ来月7月13日(日)に日にちが迫ってきました!
 
 
夏フェス時間と会場のお知らせ
午前10時〜 日野中央公園(屋外会場)市役所の前です。
 
午後1時 〜 ひの煉瓦ホール(屋内会場)市役所の横です。
 
三遊亭小遊三師匠をはじめ、アイドルグループの平成琴姫や男性ボーカルグループのBaby Boo、そしてケーブルテレビでおなじみの防災戦士マモルンジャーなど多彩なゲストが。
 
屋内会場は入場は12時30分を予定しています。定員は1104人で定員になり次第入場ができなくなってしまいます。なるべく早めにお越しください!
 
雨の場合は屋外会場はメインステージ以外はすべて行います。
屋内会場は入場を若干早める場合がございます。
 

チラシは抽選引換券となります。プリントアウトしてお持ちください

40周年記念 夏フェス 最新情報!出演者紹介!

Baby Boo
三遊亭小遊三師匠!
Baby Boo
 平成琴姫
防災戦士マモルンジャー

40周年記念行事「夏!フェス」開催のご案内

 来る7月13日(日)ひの煉瓦ホール大ホールおよび日野中央公園にて東京土建日野支部創立40周年記念行事「夏!フェス」を開催します。コンサートあり、落語あり、ふれあい動物園あり、ミニSLあり、ピエロあり・・・・・紹介しきれないほどの感動の一日に。
 
ここで一部紹介!
 
ひの煉瓦ホールでは、まずは笑点でおなじみの真打ち”三遊亭小遊三”さんの落語。小遊三さんは説明無用ですね!
そして、キットカットのCMソングやネスカフェゴールドブレンドのCM(あの「タバダ〜〜」っていうあれです)や、テレビの挿入歌などで有名な男性ボーカルグループ「Baby Boo」のコンサート。Baby Booのハーモニーは聴く人をものすごく引きつける力をもっています。必聴です!
ほかにもゲストを招く予定です。
 
また、中央公園では目玉のふれあい動物園!! 100頭を超える動物たちが中央公園に集結します!かわいいですね〜! そしてミニSLやピエロやふわふわドームやケータリングカーなど、親子連れて一日楽しめる企画を計画しています!
 
私たち東京土建日野支部は今年40周年。日野市民の皆さんと東京土建の組合員の皆さんに心行くまで楽しんでいただこうと思っております。
 
今後、詳細なスケジュール等決まり次第、こちらのページでご案内させていただきます。
 
お楽しみに!

40周年記念式典を開催しました

東京土建一般労働組合日野支部は今年創立40周年となりました

  わたしたち東京土建一般労働組合日野支部は1974年に八王子日野支部から独立し、今年で40年を迎えました。
 創立40周年記念式典を2014年1月26日(日)に、立川グランドホテルにて行ないました。日夜奮闘している組合代表者をはじめ、日頃から大変お世話になっておりますご来賓の方々にご参加いただきました。
 
 

お越し頂いた国会議員・東京都議会議員・日野市議会議員の皆様

 衆議院議員   小田原潔様(自由民主党)
 衆議院議員   長島昭久様(民主党)
 東京都議会議員 古賀俊昭様(自由民主党)
 東京都議会議員 新井ともはる様(民主党)
 日野市議会議員 西野正人様(自由民主党)
 日野市議会議員 奥住匡人様(自由民主党)
 日野市議会議員 鈴木洋子様(自由民主党)
 日野市議会議員 馬場けんじ様(公明党)
 日野市議会議員 くぼた知子様(公明党)
 日野市議会議員 清水とし子様(日本共産党)
 日野市議会議員 中野昭人様(日本共産党)
 日野市議会議員 奥野倫子様(日本共産党)
 日野市議会議員 大高哲史様(日本共産党)
大変お忙しい中、お越し頂き感謝申し上げます。
お時間の関係で、全員の方からご挨拶を頂く時間を設けることができませんでした。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。

お越し頂いた友好団体・企業の皆様

 東京土建一般労働組合本部、東京土建国民健康保険組合、東京土建一般労働組合八王子支部、東京土建一般労働組合多摩・稲城支部、東京土建多摩西部支部、東京土建府中国立支部、東京土建小金井国分寺支部、東京土建新宿支部、東京土建世田谷支部、八王子合同法律事務所、日野市民法律事務所、中央労働金庫八王子支店、三多摩国民春闘共闘会議、三多摩健康友の会、町田税経センター、かすみ総合会計、日野労連、あかつき印刷、ブレス
 
お忙しい中、お越し頂きありがとうございました。

40年の歩み ダイジェスト

 日野支部結成1年前、昭和48年8月7日に八王子日野支部で日野支部独立のための準備委員会が発足し、準備が進められた。独立に関しては賛否両論、意見は全く二分されたが、準備段階で全員集会を80人以上の参加で行い、熱のこもる討論の末、「全員ががんばればなんとかできる」と決断し、昭和49年6月16日、176名の仲間で東京土建36番目の支部として日野支部が誕生した。結成時の分会は日野台分会、大坂上分会、多摩平分会、南平分会、豊田分会、三沢分会、高幡分会、百草分会、山陽分会、水沼分会の10とした。結成以来10年の歩みは、組織数、財政的にも非常に苦しい中で、役員活動家諸先輩の苦労は一言では言い尽くすことはできない苦難な道であった。結成当初、早期に300名支部実現に向けた拡大運動に取りかかり、秋の拡大では「2人組で1人の拡大」と奮闘し、翌1月1日には234名の組織とした。7月には第1回支部組合学校開催、9月には熱海へ第1回親睦旅行を、また10月には第1回主婦の会旅行を熱海で行なった。

 昭和53年には第1回住宅デーを多摩平公園にて開催した。翌昭和54年1月1日に支部創立以来目標とした300名を超え、318名の支部となった。この年分会の組織を整備し、旭が丘・平山・南平五丁目分会が新設され13の分会となった。昭和55年は家族運動会を第四小学校で開催し、352名の組織現勢に対して、300名の組合員家族が参加する大きなレクリエーションを成功におさめた。結成して10年がたった。

 1984年(昭和59年)750名となった日野支部組織は、日野の地域でも一定の影響力を持つ組織となり、厳しい中でも組織拡大を前進させることが地域においても重要であると再確認された。この頃、東京土建全体としても、自治体への請願運動が強化されはじめた。

 1985年(昭和60年)不況や情勢の厳しさから、拡大の困難さは引き続き厳しい状況にあったが、たたかいの成果を確信に拡大運動がすすめられ、日野支部は3年連続で東京土建の拡大率で1位となる。年間目標の支部現勢850名も大きく超過し、全分会の目標も達成するなど、輝かしい成果を生んでいった。「10割給付の維持も組織の拡大なしにあり得ない」という組織拡大の重要性が組合内での深い理解となり、拡大成功への大きな力となった。年内1000名の支部建設の方針を掲げ拡大に邁進していった。

 さまざまな運動の成果を確信とし、たたかって学び学んでたたかう組織として東京土建も1986年(昭和61年)1月当初人員で65374名となった。日野支部では1000名支部の年内達成に奮闘し、4年連続拡大率トップという成果を役員活動家一致団結で成し遂げた。

 1987年(昭和62年)これまでも旺盛に交流等を行なってきた、青年部主婦の会では、青年部では引き続き野球のナイターを月に2回ずつ練習や市内のチームと交流試合を行い、主婦の会は11月6日〜7日にかけて、草津温泉に一泊旅行を参加者33名で行なった。

 1988年(昭和63年)支部組織がこの数年で急速にのびたことに対して、分会の活動家の圧倒的不足が問題になっていく。分会四役会議は、南平分会・日野第二分会・高幡分会が開くにとどまり、分会執行委員会は、旭が丘分会・百草分会の定例開催にとどまった。この遅れは、昭和63年の重要な組織課題として継続して取り組んでいくこととなる。

 1990年(平成2年)東京土建の組織建設は「主体的なたたかいによって作り出した拡大の条件、可能性」を生かして、10万人の東京土建建設への速度を速める絶好の年として位置づけ、7万から10万への道のりを5年間で達成させる展望を切り開いた。日野支部では年間拡大目標235名を大きく上回る294名を拡大し、1500名支部の展望の基盤(1990年2月末現勢1442名)をつくった。この到達は、情勢から求められる東京土建の拡大強化にこたえ、さらに、「東京の建設産業従事者の多数派に接近する、新たな困難」を支部・分会の推進委員会が創意工夫で多くの組合員、家族を結集し突破したことを示した。

 1992年(平成4年)日野支部結成以来念願の支部会館建設が見事に完成に至った。この会館建設実現においては、建設委員会をはじめ、組合員やその家族の方々から大きく支えられた。念願の会館を建設し、組合員の大きな砦とし、地域の方々からはさらに大きな信頼が得られることは、労働組合として、その後の運動の発展と地域の活動の活性化に多いに役立つことは言うまでもなく確信につながっていった。5月から支部会館の利用を開始し、6月21日には森田市長をはじめとし、各界、各団体から多数のご来賓をご列席いただき、落成式が盛大に挙行された。支部会館をもち、地域との積極的なかかわりを持つ一環として、日野市の産業まつりにこの年はじめて参加する。

 1996年、地域での社会保障運動をすすめていく組織「日野社会保障推進協議会」を6月15日に61名が参加して結成総会を開き、地域共闘の促進と新しい団体との共同行動が前進していった。この社会保障推進協議会は「新たに社会保障を確立するために、日野市内において、この趣旨に賛同する団体・個人の構成を目指し、全市民的規模の諸活動の推進をはかる」ことを目的とし、初代会長に日野支部委員長の土方茂執行委員長が選出された。その他9団体・労組から幹事が選出された。

 1999年、日野支部は1974年4月支部創立以来の25周年の年にあたるこの年、記念行事の「土建まつり」を9月19日(日)に開催し、創意工夫をこらした盛大な催し物となった。市民をはじめとした5000人もの来場者があった。

 2000年の東京土建国保10割給付は堅持したものの、2001年については全支部で討議していくことが中央執行委員会で確認された。東京土建国保の30年の歴史から見ても大きな問題であり、多くの困難性を持ち合わせた課題となった。私たちの東京土建国保10割給付は「いのちの綱」であった。これ以上のペナルティによる国保料の値上げをとるのか、10割給付を堅持するのかの東京土建史上にとって最大級の決断のための議論の開始となった。

 2000、1年かけて討議した「東京土建国保10割給付」について翌2001年4月から8割給付にするという東京土建史上最大の苦渋の決定にいたった。30年間守り続けた「土建国保10割給付」の給付率変更が決定される中、組合員の土建国保制度に対する不安が広がり、また、不況による経済的不安が組合員拡大に大きな影響を及ぼした。しかし、私たちは今日ほど仲間が組合に結集し、団結した力を発揮し、その団結の輪を大きくすることが重要だという認識のもと、厳しい経済情勢の中であっても諸要求実現のための展望をきりひらくためには強大な組織建設が重要だと拡大運動を押し進めた。

 2004、私たち日野支部は1974年4月に八王子・日野支部から独立し、30を迎えた。組合員一人一人が主人公という基本理念にたって強大な組織建設と地域に密着した運動を展開することを確認し合った。翌1月14日には八王子プラザホテルで記念式典と組合員が多数参加したアトラクションを盛大におこなった。

 2005年に組合の後継者育成の重要性から後継者対策委員会が発足した。30代40代の子育て世代の組合結集を目的にし、支部活動家を育成していく上で、最も重要な専門部であり、役員の高齢化・固定化に伴う運動の低迷を打破するためにも取り組みを強めていった。本部提案であった「シニア友の会」の結成を日野支部としてもおこなった。7月24日に日野支部会館にて設立総会を37名の参加で開催し、「日野古木の会」と名付けられた。3月にはNPO法人「日野まちづくり住まいの相談室」設立した。

 2006住宅デーにおいては「いままでの縮小傾向にあった日野支部の住宅デーの起爆剤的要素と、東京土建の存在を日野市民に強くアピールするため」一会場で行なった。仲間の趣味の披露の場として「支部文化祭〜仲間の作品展示会」がこの年はじまり79点の力作が集まった。支部会間の会議室を一週間、黒幕で装飾し、作品へのライトアップやBGMで雰囲気を出し、来場者からも好評となり、今後の文化祭の発展が期待された

 2007年11月には東京土建結成60周年どけんまつりが東京ビッグサイトで開かれた。組合員・家族あわせて3万人が参加して大盛況の記念行事となった。日野支部からはバスを3台チャーターして136名が参加しメインステージの「南こうせつライブ」や日野支部出店の射的場などを楽しんだ一日となった。秋の拡大月間では日野支部は東京土建38支部中トップの拡大率を上げ、2005年、2006年に引き続き、三年連続の最高現勢を勝ち取ることができた。日野古木の会の日帰り温泉、後継者対策部の「マス釣り&バーベキュー」、青年部の「カート大会」主婦の会の「フラワーアレンジメント教室」などの取り組みが行なわれた。

 2008年は東京土建本部会館が新しく生まれ変わり「けんせつプラザ東京」として3月30日に竣工披露パーティーが盛大に執り行われ組合員の新しい砦として出発した。

組織作りにおいては、東京土建として7年ぶりの組織後退が余儀なくおこった。

 2009年不況打開生活防衛委員会を日野支部として設置し、支部組合員の仕事と暮らし、の相談活動の強化に努めた一年となった。深刻化する建設産業のなか、賃金単価や現場改善要求の重要性がますます高まり、この年の大手企業交渉の一環としてパワービルダー6社と交渉をおこなった。3月に日野支部PALの会を結成させ、賃金運動の先頭に立った。

 2010年は就業実態調査という大きな課題に取り組まざるを得ない状況となった。09年に全国建設高事業国保組合(東京土建国保とは無関係)が建設業以外の人を加入させていたことが問題となり、厚生労働省が調査に乗り出すこととなった。これにより、東京土建国保でも全組合就業実態調査という途方もない事務作業が発生した。

 2011年3月、東日本大震災の対応として、震災後直ちに東日本大震災対策本部を立ち上げた。復興支援カンパの取り組みやボランティア派遣と、道具が流失してしまった現地の全建総連の仲間にトラック二台分の工具や道具を送る支援にも取り組んだ。10月には全建総連の大会ではじめて東京土建出身の委員長が誕生した。この年、日野支部会館のリフォームに取り組み、新しい事務所は明るくてよい、と好評だった。2011年〜2012年にかけて分会再編に取り組み、現在の5分会の形となった。

 2012年は事業所分会を設立し、事業所の組織化の第一歩を踏み出した。また、本部は65周年の年にあたり、65周年記念イベントが井の頭公園にて盛大に開かれた。日野支部では「伝説のホットドッグ」を発売し、好評を得た。

 2013年、分会再編となる2年目。いくつかの分会から念願の常設センターの話が持ち上がり、「みんなの組合わたしたちの組合東京土建」の意識がさらに根付いた。支部直属問題解決に取り組み、直属組合員への分会所属を呼びかける行動に取り組んだ。

 私たちはこの40年、幾多の困難を組合員の要求をもとに団結し、運動を築き上げてきた。このことを確信に、これから10年、20年、50年とさらに邁進していく決意を固めている。